仕入れが上がった。人件費も上がった。それでも販売価格は数年前のまま——という会社は、めずらしくありません。
踏み切れない理由は、たいてい一つです。「客が離れたらどうするのか」。もっともな不安ですが、この不安が実際より大きく見えていることはよくあります。理由は単純で、どれくらい離れたら本当に損になるのかを数字にしていないからです。
この記事では、決める前に出しておきたい2つの数字と、交渉のときに根拠として使える公表データを整理します。
前提として、値上げをしないことは「何もしていない」ことではありません。仕入れや人件費が上がっている状況で価格を据え置けば、その差額は自社の利益から出していることになります。つまり据え置きも、「上昇分を自社で負担し続ける」という積極的な判断です。
それが体力の範囲内なら問題ありません。避けたいのは、負担していることに気づかないまま、利益率だけが静かに下がっていく状態です。値上げをするかどうかの前に、いま年間でいくら負担しているのかを一度出しておくと、判断の重さが変わります。
値上げの判断でいちばん役に立つのが、この数字です。「値上げしたら客が減る」のは事実として、どこまで減っても値上げ前より良い状態なのかを先に出しておきます。
考え方はシンプルです。値上げによって1件あたりの粗利が増えるぶん、件数が減っても総額を維持できる余地が生まれる、というものです。
| 値上げ前の1件粗利 | 4,000円 |
| 100件ぶんの粗利 | 400,000円 |
| 10%値上げ後の1件粗利 | 5,000円 |
| 40万円に必要な件数 | 80件 |
この例では、10%の値上げに対して件数が20%減っても、粗利総額は値上げ前と同じになります。裏を返せば、離脱が20%未満に収まるなら、値上げ後のほうが手元に残る計算です。
大事なのは、この20%という数字を自社の原価率で出し直すことです。同じ10%の値上げでも、原価率によって耐えられる離脱率はまるで変わります。
| 原価率40% | 1件の粗利は6,000円から7,000円へ。耐えられる離脱率は約14% |
| 原価率60% | 1件の粗利は4,000円から5,000円へ。耐えられる離脱率は20% |
| 原価率80% | 1件の粗利は2,000円から3,000円へ。耐えられる離脱率は約33% |
読み取れるのは、原価率が高い事業ほど、値上げの効きが大きいということです。粗利が薄い商売ほど値上げはこわい、という感覚と、数字はむしろ逆を向きます。薄いからこそ、1件あたりに乗せた分の意味が大きくなるためです。
感覚で「客が離れるかもしれない」と考えているうちは、判断ができません。「20%までは耐えられる」と分かれば、そこから先はどの取引先が、その20%に入るのかという具体的な話に変わります。
もう一つ見落とされがちなのが、値上げの効果が現金として現れるまでの時間です。
価格改定を通知してから、新価格が適用されるのは次の契約更新や次回発注から。そこから請求、そして入金。実際に通帳の残高が変わるのは、決めた日から数か月先になることも珍しくありません。
| 1か月目 | 社内で単価を決め、通知文を作る |
| 2か月目 | 取引先へ通知。先方の社内調整と回答を待つ |
| 3か月目 | 新価格の適用開始。この月の納品分から |
| 4か月目 | 新価格での請求 |
| 5か月目 | 入金。ここで初めて残高が変わる |
つまり値上げは、資金繰りが厳しくなってから始めても間に合わないことがある打ち手です。逆に言えば、判断が早いほど効きます。次の3つを資金繰り表の上に並べておくと、「やるかどうか」だけでなく「その間をどうつなぐか」まで含めて考えられます。
つなぐ手段が必要になりそうなら、値上げを決めるのと同じタイミングで準備を始めておくほうが、選べる手は広く取れます。
値上げの話を切り出しにくいのは、自社だけの事情ではありません。中小企業庁が毎年おこなっている価格交渉の調査に、実態がはっきり出ています。
| 価格交渉が行われた割合 | 90.7% |
| 価格転嫁率(全体) | 54.2% |
| 原材料費の転嫁率 | 55.7% |
| 労務費の転嫁率 | 50.0% |
| エネルギーコストの転嫁率 | 48.9% |
| 官公需の転嫁率 | 48.4% |
この数字の読み方は二通りあります。ひとつは、9割が交渉のテーブルにはついているということ。値上げを申し入れること自体は、もはや例外的な行為ではありません。切り出した瞬間に取引が終わる、という前提は、実態からずれています。
もうひとつは、上がったコストの半分ほどしか価格に反映できていないということです。とくに労務費は50.0%と、原材料費より低くなっています。人件費の上昇は、原材料の値上がりに比べて「うちの都合」と受け取られやすく、根拠を示しにくいためだと考えられます。
言い換えると、労務費の分は意識して別に切り出さないと、そのまま自社の負担で終わりやすいということです。仕入値の上昇だけを理由に交渉すると、人件費の分は最初から議題に乗りません。
労務費の転嫁については、内閣官房と公正取引委員会が指針を出しています。この指針は発注側に対して書かれた部分が知られていますが、受注側が採るべき行動も示されています。値上げを申し入れる側にとっては、そのまま準備の手順として使える内容です。
最低賃金の上昇率、春季労使交渉の妥結額やその上昇率といった公表資料を用いることが挙げられています。自社の給与台帳を見せる必要はなく、外部の数字で説明できるという点が実務では大きい部分です。
業界の慣行に応じて、1年に1回や半年に1回といった定期的な時期に交渉することが挙げられています。突発的に持ち出すより、決まった時期の話として組み込むほうが、相手も社内で扱いやすくなります。
発注者から価格を提示されるのを待たずに、受注側からも希望する価格を提示することが挙げられています。「いくらならいいですか」と委ねると、交渉ではなく回答待ちになります。
価格交渉の記録を作成し、双方で保管することが、発注者・受注者の双方が採るべき行動として挙げられています。次の交渉のときの出発点にもなります。
あわせて、伝え方そのものにも工夫の余地があります。全部を一律に上げる必要はありません。どこを上げ、どこを据え置くかを先に決めておくと、交渉が場当たりになりません。影響の大きい取引先には、数量や納期といった条件の見直しとセットで提案する余地もあります。
なお、取引上の立場が強い側から一方的に価格を据え置かせるような行為には、法令上の問題が生じる場合があります。自社が申し入れる側であっても、根拠を整理し、やり取りの記録を残しておくことは後々の役に立ちます。
値上げの判断でつまずくのは、たいてい不安が数字になっていないためです。何%の離脱まで耐えられるのか、効果が現金になるのはいつか。この2つを出すだけで、議論は「こわいかどうか」から「やるとしたら、いつ、どの範囲で」に変わります。
値上げに関しては踏み切れない企業が数多く存在します。
まずは損益分岐点売上をしっかり把握したうえでいくらの値上げが必要なのかを知ることです。
実際検討していた値上げ幅より抑えられることもあり、心配しているほどの客離れはおきないこともあります。
また、自社の仕入が〇%上がってしまったのでと説明を行えば理解してくれる可能性もあるかと思います。
客離れが起きたとしても値上げした際の効果とシミュレーション行い、実際どの方法が良いのかよく検討する必要があると思います。
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※ 本記事は一般的な情報提供を目的としたもので、特定の価格設定や、値上げによる結果を保証・推奨するものではありません。掲載した統計は公表時点のものです。取引条件の変更は、契約内容と取引先との関係を踏まえてご判断ください。